この記事では僕のプロフィールでありながら、工場勤務でやりがいのない単純作業や3交代に支配され、一生奴隷のように働くことに嫌気が指している、過去の僕のような方に向けたメッセージでもあります。
※工場勤務を、誰にでもできる仕事と置き換えてもらってもOKです。なので、製造業、食品加工、コンビニのレジ店員などの業種の人にも関係ある話です
1度きりの人生だから、一生工場で働くのは死ぬときに絶対後悔する。
こういうこと考えている人は、ぜひ、最後まで読んでいただけたらと思います。
工場勤務、製造業、食品加工など、いわゆる単純作業で働くのは、将来が危険という超現実的な話もしますが、多少、過激な内容になってしまうかもしれません。
ただ、工場で働いているあなたにとって100%関係のある、重要な話をしていくので、自分に当てはめながら読み進めてみてください。
それでは、お話ししていきます。
初めまして、神楽(かぐら)です。
僕が情報発信している理由は、僕のように工場で一生働くことにやりがいや意味を見出せず疑問を抱いている人に、ちゃんと人間らしい生き方(ライフスタイル)を提案したいからです。
どうか怒らずに聞いてほしいのですが、
僕は工場で働いている以上、人間らしい生き方ができないと思っています。
その詳しい理由も、この記事では話していきますが、その前に、僕のことを全く知らない人に軽く箇条書きで自己紹介をさせてください。
- 工場を6年目の夏に辞めて、その月に月収50万円を達成
- 翌月には月収71万円、さらにその2ヶ月後に月収110万円を達成
- MacBook1台でそれをやっている
- 自分が行きつけのジムや美容院にコンサルティングして集客数、リピート率の増加
- 工場勤務の働き方に疑問を持つ方に向けた様々なメディア(ブログ、YouTube、メルマガ)を運営
- ネット上に複数の資産があるため自動で収益が発生している
- そのため本当にやりたいと思った仕事に思い切り時間を充てられる
- 仕事に心からやりがいを見出せているので、毎日が充実している
- お金を生み出すスキルがあるので、どこに行っても生きていける自信と安心感がある
- 3交代から解放されたので、体調がすこぶる良くなった
- 好きな時間に寝て、自由な時間に起きることができるようになった
- 夜勤明けの時に眠い目をこすりながら、筋トレ(ジム)に行く必要がなくなった
- 嫌いな人たちと関わらないで済むのでストレスが完全に消え去った
- 向上心の高い価値観の合う人たちだけと関わることで日々成長を実感している
- 子どもができた時に、胸を張って人生が楽しいと言うことができる
- 好きな漫画はNARUTO、ワールドトリガー、鬼滅の刃
- 好きな海外ドラマはウォーキングデッド(みんなが嫌いなニーガンが好き)
などなど。
信じられないような世界かもしれません。胡散くさい話だなあって思われたかもしれません。
僕も工場で働いていたときは、こんな世界が手に入ると思ってもいませんでした。
一生工場で奴隷として、やりがいを見出せずに、夜勤に命を削られ、愚痴を言い合うのが生きがいの人たちと定年まで働くんだろうなと、絶望していたんですね。
しかしそれは、自分の生きている世界が狭かっただけなんだということに気付くことができました。
県内で偏差値が一番低い公立高校出身の僕でも、理想のような世界を現実にすることができるのだと知ったんですね。
そんな僕が、今の考えに至るまでの生い立ちをまとめてみました。
「アンタの生い立ちなんか興味ないよ」
と、思われるかもしれませんが、僕の低スペックな生い立ちを共有することで、誰にでも理想の世界に行ける可能性が開かれていることがわかると思うので、紹介させてください。
ふわっとでも、どういう道筋をたどって、今の状況になれたのかわかると思うので、読んでいただけると嬉しいです。
目次
神楽の生い立ち
これから僕の生い立ちを書いていくわけですが、多少過激な内容があることを、あらかじめ言っておきます。
いきなり死にかける
僕は生まれる時に、首にへその緒が絡まって死にかけたらしいことを、母親に聞かされました(苦笑)
ぐるぐるに、へその緒が巻き付いていて、顔が真っ青になり、もう少し取り除くのが遅かったら、本当に危なかったらしいです。
保育園時代はお絵かきと粘土遊びが好きな子どもだった
保育園のころは、自己主張が苦手で引っ込み思案な性格でした。
外でみんなと鬼ごっこをしたりジャングルジムで遊ぶことよりも、部屋でお絵かきや粘土遊びをひたすらやるのが好きだったんですね。
粘土では、デジモンのウォーグレイモンが好きで、下手くそながらも、一生懸命作って飾っていました(笑)
とにかく手が油まみれになるまで、粘土をこねこねしていたんです。
ピカピカの1年生になれない僕を見かねて親は
そんな僕は小学校に入学してすぐに不登校になりかけます。
理由は、保育園のころから全然克服できていない、みんなで協調生をもって行動することや、人見知りによって学校に馴染むことができなかったからです。
(ついでに言うと兄貴が登校時に、おねしょ癖があることを皆の前でバラすという、嫌がらせしてきたのも大きかったです苦笑)
そんな僕を見て心配した親は、犬のゴールデンレトリバー「レオン」を家族として招くことで、僕を元気付けようとしてくれました。
新しい兄弟が増えて、明るくなった僕は笑顔で学校へ行くようになりました。
家に帰ったら、まだちっちゃくて子犬のレオンと一緒に遊ぶのが楽しみで仕方がなかったんですね。
体育祭から逃げ出そうとした
お次は体育祭です。僕は逃げ出そうとしました(苦笑)
小学1年の秋のころ、やはり協調性が必要だった体育祭に、引っ込み思案だった僕は行きたくないと逃げ出そうとしたんですね。
そんな僕を見て親は「体育祭に出たらゲームを買ってあげる」と任天堂ゲームキューブをエサされて体育祭にしぶしぶ行くことになりました(笑)
ゲームキューブのためだけに僕は体育祭に参加します。
ここからゲーム依存症の泥沼にハマることを知らずに。
それからゲームばかりで、勉強ちっともしない子へ
小学校のころの思い出は、レオンと遊ぶこと(しかし、デカくなりすぎたレオンに引きずり回されたりもした笑)ゲームをすることでした。
基本的に勉強をちっともしない子で、進研ゼミに挑戦したこともありましたが、ものの数ヶ月で投げ出してしまったんですね。
ちなみに進研ゼミは小中合わせて4回チャレンジしますが、いずれもやりとげずに投げ出してしまうという、親のお金を捨てさせるプロになっていました。
僕の家庭は裕福ではなかったので、いま思うと、親には本当に申し訳ないことをしたと思いますね。
中学校に上がると、まさかの親友からいじめられる
中学1年生に上がったタイミングで小学校の頃の親友4人に突然いじめを受けます。
他校の子にいじめられるならまだしも、仲良く遊んでいた親友に「裏切り」という形でいじめを受けたんですね。
英語の教科書に「死ね」と書かれて破られたり、上履きのスリッパを片方は女子便、片方は2階のベランダに落とされたり、カバンと机の中身を全部ぶちまけられたり、4人で暴力を振りまくりなど、数々のいじめを受けて心と体が弱っていくのを感じました。
数々の妨害によって、理科室への移動が間に合わずに、先生に怒られたこともあります。
本気で自殺を考えていて、母屋のおばあちゃんが使っている顔剃り用のカミソリを右手首に当てたことがありましたが、勇気がなくて実行できませんでした。
朝学校に行くときは、めざましテレビのCMの合間に流れるゆずの「虹」を聞くたびに、学校に行かないといけないストレスによって下痢をしていました。
いじめを現実逃避するかのように、さらにゲームにどっぷりと浸かったことと、言い訳がましいんですが、「死ね」と書かれた教科書を開いて勉強する気が起こらずに、みるみる学校の成績は下がっていきます。
気がついたら、成績は下から数えた方が早くなって、公立高校最弱校への道にどんどん進んでいったんですね。
さえない高校生活
ここから人生が逆転して、優秀な高校に出て、なんてことは起こらず、ノンストップで公立高校最弱高に入学します。
私立は「お金がないからダメ」と親に言われていましたが、偏差値的にはどっちも変わりません。
高校では、いじめによる自信喪失とトラウマ、偏差値の低い高校に入ってしまったことの劣等感、女の子から全然相手にされない、親からそのタイミングで見捨てられるなど、いろいろなことが重なって、特に語ることがないような、さえない3年間を送っていました。
高校を卒業して工場勤務の奴隷生活がスタートする
と、思いきや、最初の1年間は、県内で有名な大手工場にまぐれで就職して、夜勤があったこともあり、その辺の大卒よりも多い給料をもらっていたため、祖母と一緒になって喜んでいたんです。
「あれ、大学出なくても大丈夫じゃん!」
そんなことを思っていました。
1年後の19歳のときにすべてに絶望する
ただ、1年も会社で働いていると、いろいろとわかることがあります。
- 同じ作業の繰り返しでやりがいを見出せないこと
- 働いている人の目が全員死んでいるということ
- 辛すぎて逃げ出してしまった人がいること
- 10年働いても給料が上がらないということ
- 30代になってから夜勤が辛くなるということ
- 働いてもスキルらしきものが何も身につかないということ
- 他人はソシャゲ、車、バイク、パチンコの話しかしないということ
- 噂話が大好きな人ばかりで他人を蹴落とす人しかいないということ
- 誰1人として変化を望んでおらず、改善意欲がないこと
- 口先ばかりでプライドの高いオジさんがウザいこと
- 小集団活動はみんなのやる気なくてその場しのぎなこと
- 上司は無能で自分のことしか考えていないということ
- 夜勤明けの休みは眠すぎてまともに動けないということ
などなど、工場で働けば働くほど、ここにずっと居続けることに疑問を抱いていました。
そして、あるできごとが起こります。
20歳になる手前の3月のことだったのですが、犬のレオンが散歩をしていたら急に倒れ込んでしまったんですね。
ほんと、受け身も取れない感じでバタンって横に倒れました。
その後に、動物病院に行ったり、必死に看病しますが、状態は良くならず1ヶ月後に息を引き取ってしまいます。
小学校1年生の時から飼っていたので、老衰だったのが幸いですが、社会人になってからは不規則な夜勤を言いわけにして、あまり遊んであげられなかったことを死ぬほど後悔しました。
だんだん冷たくなっていくレオンのお腹で、後悔の念とともに泣き続けたんです。
朝から仕事があった日がレオンとの最後の日でしたが、水も飲めなくなるほど衰弱したレオンが、その日だけは体をありえないほどすぐに起こして、いつもと変わらず元気そうに水を飲んでくれました。
容体が回復したのだと喜んでいたんですが、夕方帰ってきて、レオンが動かなくなっているのをみて、最後のお別れとして元気を振り絞ったのだと分かりました。
20歳のときにインターネットビジネスの存在を知る
それから、インターネットビジネスの存在を知りますが、それは必然だったのかも知れません。
工場で働くことに疑問を持ち、3交代に振り回されて、ちっともレオンを遊んであげられなくなったことへの、後悔の念が消えていなかったからです。
ただ、ビジネスに関しては、独学でチャレンジしてしまったのが失敗でした。
そのため、訳のわからない方向に進んでしまうのが続き、なかなか思うような結果を出すことができなかったんですね。
※この経験を得て、ちゃんとした知識を学ぶのは超重要なことだとわかりました。それからは絶対に独学でやるようなことはせずに、まずは信頼できる人から知識を入れて行動するようにしたんですね。
22歳のときに間違った選択をしていないと確信した
22歳の終盤になって、ようやくちゃんとしたビジネスを学び、黙々と作業をして、少しずつ結果が出始めました。
その一方で、僕が作業している現場で、単純作業と3交代に耐えられずに家庭を持った男性社員うつ病になって、半年間、休職するという事件が発生しました。
それも、2人もです。
うつ病になる前は、すごい気さくに接してくれた方でしたが、半年後に復帰した時に話すと、常に何かに怯えたような自信の無い態度に変貌していて、びっくりしました。
その一連のできごとを間近でみて、自分のやっていることは間違ってないんだと、さらに工場を辞める決意を強くしたんですね。
後日談ですが、僕が会社を辞めた後に、その2人はうつ病が再発して、また休職されているそうです。
子どもがいて養わないといけないことを考えると、それを聞いた時に胸が張り裂けそうになりました。
23歳の夏に晴れて会社を退職する
22歳のころから工場勤務を辞める準備をしていましたが、
23歳になり、工場勤務6年目の7月に会社を退職することができました。
しっかりと準備をして会社を辞めたので、変な不安とかもなくスッキリして工場を後にすることができました。人生最後の夜勤明けはいつもより清々しく、足取りは軽かったです。
それからしっかりと自分の時間を作れるようになったので、さらにビジネスを盤石なものにしていったんですね。
今では、自分と同じように工場で一生を終えることにやりがいを見出せず、もがき苦しんでいる人に、人間らしく在れるライフスタイルを提案したいという理念を持って活動しています。
その想いを込めて執筆した、
“上司に「階段の手すりを持て」と叱られたので、会社を辞めてやった”
という本がAmazonランキング1位になったりもしています。
興味がある人はこちらから読むことができるので、ぜひ。
はい、ざっくりと僕の過去を書きました。
今では、本当に充実した毎日を送ることができています。
社会人2年目あたりから、工場で働き続けることに疑問を抱くようになったんですけど、うつ病のことがあって、それは確信に変わり、辞めてからは心の底から良かった選択だと思いました。
人間らしく生きることは本当に大事だなって実感したんですね。
工場勤務で一生を終えるのは、人生が勿体なさすぎる
僕はこう強く思います。
同じ作業の繰り返しで気が狂いそうになったことは何度もあります。途中で逃げ出してやろうと思ったことは1回や2回じゃありません(し、実際に逃げ出して行方不明になった人もいました)
3交代でグルグル勤務をしていて、なかなかコンディションが整わず、家に帰ったら寝過ぎて時間がただただ過ぎる時もありました。
もしくは、夜勤のリズムがリセットできずに寝不足で仕事に行って、作業中に気絶しそうになったこともありました。
余談ですが、立ちっぱなしで寝る技術はここで身につけました。
社会人1年目のときは給料が多いかと思っていたんですが、どうも先輩から話を聞くと、10年経っても給料はちっとも上がらないらしいし、そもそも夜勤手当を抜いたらその辺の高卒よりも給料が低いことがわかりました。
そして6年ちょっと勤めて辞めた今でも思うんですが、工場で働いていて何かスキルが身についたか?と言われれば完全に「NO」です。
もし、外人やAIに仕事を取られてクビを切られていたら、何のスキルもないプータローに成り下がって、ふらふら彷徨っていたはずです。
っていうか働いているときに、すでにだんだんと外人化してくる工場の様を見て、「このままだと仕事がなくなるんだろうなあ」と思いながら作業をしていました。
日本人よりもコスパの良い外人を雇うのは、経営者としては当たり前だからです。
もう少し先の未来になれば、AI(ロボット)が投入されて、いよいよ人間が働く枠がなくなるだろうと感じていました。
- やりがいが見出せない
- 3交代は肉体と精神を蝕んでいく
- 誰でもできるから給料が低い
- 将来のためのスキルが身につかない
- AIや外人に仕事を取られる可能性がつきまとう
これらを一言でまとめるなら、
やりがいを感じられない仕事を、3交代で寿命を削っているのにも関わらず、給料は安いし、いつ仕事が無くなるのか分からない不安定な状態に晒されている。
ということだと思うんですが、この事実に気が付いたときに、ゾッとしました。
この事実に早めに気が付いて、工場を辞めるための準備をしてきて本当に良かったと思います。
ビジネスに出会ってからすべてが変わった
ビジネスに出会ってからすべてが変わりました。
最初にビジネスのことを知った時は「特別な奴しかできない」「才能のある奴が結果を出す分野」だと思っていましたが、それは違いました。
正しい知識と行動さえあれば、結果が出せることを、身をもって実感したんですね。
それどころか工場勤務の人は結果を出しやすいです。
なぜなら、仮面社員になりやすいからです。
仮面社員とは、会社に従っているフリをしながら、水面下でせっせと会社を辞めるための準備をしている人のことですね。
単純作業、交代勤務という性質上、チャイムと同時に終わることができて、残業があまりなかったので、家に帰ったら速攻で会社を辞めるための着々と進めていました。
(もう少しでこんなクソみたいなところ辞めてやるぜっ・・・!)
というモチベーションのなか、ひたすら水面下で動いていたんですね。
工場勤務の奴隷から抜け出して自由になれる人を増やしたい
僕はこの信念を持って活動しています。
工場で働き続けるのも、再就職するのも、大学受験するのも良いんだけど、まずはお金を稼ぐスキルを身につけるのが先決だと思っています。
お金を稼ぐスキルを身につけることができれば、それだけで選択肢が広がるからです。
選択肢が広がれば、工場で働き続けようが、別の場所に就職しようが、大学に行こうが、独立しようが自由に選択できるんですね。
工場の言いなりになって働くことは、選択肢が狭まります。
これこそやりがいはないし、3交代はキツいし、給料は低いし、スキルは身につかないし、AIや外人に仕事を取られる可能性があります。
そうなれば何も準備をしてこなかった人は、人生がおじゃんになってしまうんですね。家庭を持つようになれば、特にです。
そうならないために、選択を自分で決められるよう、お金を稼ぐスキルを身につける必要があるんです。
僕は、そのための知識やノウハウをお伝えしているんですね。
そして、僕のように自由で自立した人が、僕を通して増えてくれればこれほど嬉しいものはありません。
ネット上での出会いになりますが、自立してくれた人と飲みに行く機会があります。
そのときに、
(この仕事をしていて良かったな・・・)
と心の底から思います。
誰に感謝されるのかもわからない工場の時と違って、たくさんの人から感謝の声が届くので、本当に生きていて良かった、会社を辞めて良かったと感じます。
何度も言いますが、大事なのは選択肢があることです。
決して僕は、あなたに独立起業を勧めているわけではありません。
工場で働き続けるのも、別の場所に就職するのも、勉強して大学に入るのも、あなたの自由ですが、その前に(そのために)お金を稼ぐスキルを身につけて、選択肢を広げて欲しいんですね。
そうしたら、いつ工場をクビになっても問題ないし、また辞めようと思えばいつでも辞められます。
給料とか気にせずに、やりがいという部分だけで再就職することもできます。
大学の受講料も、大学在学中も、お金のことを気にせずに、目一杯取り組むことができます。
もちろん、独立起業して、自由に仕事をするのも良いでしょう。
とにかく大事なのは、選択肢がたくさんあること。そのための行動をする必要があるんです。
僕はこのことに早めに気付けて幸運でした。
だからこそ、同じ境遇の人に選択肢を増やしてあげられるような、そんな活動をしているんですね。
そのために僕は、まだまだこの活動を広めていきたいと思っています。
その過程で、自由になった人といつか飲みに行けたりしたら最高です!
はい、ということで、長くなりましたが、これで僕のプロフィールを終わりです。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
神楽
工場勤務の奴隷から抜け出すための動画リスト
工場勤務(製造業)や食品加工など、いわゆる誰でもできる単純作業の場で働くことが
、いかにヤバいのかについて語った動画リストで、これらの仕事に未来はないという話をしています。
工場勤務の奴隷から抜け出すための動画リスト
コンサルティングについて
現在、公式にはコンサルティングは募集していません。
もし直接指導をご希望の場合は、メールを僕にください。
メルマガ登録後に流れてくるメールに、真剣さや熱意を込めて返信してくださった方には、審査後、コンサルする場合があります。
コンサル内容は、工場で働きながら、裏でせっせと会社を辞めるための資産作りをしてもらう方法になります。
Amazonランキング1位の書籍を読めます
僕は工場を退職してから、毎月安定して100万円ほど稼いでいます。初対面でよく、
「すごいですね!」
「才能があったんですね」
なんて言われますが、断じて違います。
むかしの僕は低スペックのデキソコナイで、学校に馴染めなくて不登校になりかけるし、
親友4人にいじめられて本気で命を断とうと思ったし、自分に嫌気が差してゲームに現実逃避したし、
勉強の方も笑えるくらいダメで、進研ゼミは4度投げ出し、塾に行っても成績は上がらず、
そんな僕を見かねて親は「銭捨てだ」と言うくらい低スぺ人間でした。
勉強ができなかったので、高校は公立高校最弱校→工場勤務にエレベーター式で勤めることになり、
まるで奴隷のように、やりがいのない単純作業に苦しめられましたが、
とあるキッカケでビジネスの世界を知って、「何がなんでも工場を辞めてやるんだ!」という思いで取り組んだところ、
紆余曲折ありましたが、「負け犬」で終わるはずだった人生にピリオドを打ち、経済的自由を手に入れることができました。
経済的自由を手に入れてからは、
- 気の狂いそうな単純作業から解放される
- 夜勤がなくなり慢性的な睡眠不足が治る
- 意識の低い人間と関わる必要がなくなる
- 嫌いな上司に頭を下げなくて良くなる
- 好きな仕事だけ取り組めるようになる
- 大好きな彼女と時間を気にせず過ごす日々
- 思い付きで県外に行き旅行を満喫する
- 買い物するときに値段を気にせず買える
- 海外ドラマを夜通しで観て昼過ぎに起きれる
こんな毎日を手に入れられるようになりました。
その経験から低スぺックでデキソコナイな人間でも、正しく学んで行動すれば変わることができるんだと、
誰でも個人で稼ぐ力を身に付けて自由なライフスタイルを送ることができるんだと、確信しました。
そういった思いから、僕がどのように自分と向き合い、個人で稼ぐ力を身に付けるために何をしたのか
その経験や体験を一つの書籍にまとめてみました。
AmazonKindleで1位を獲得した書籍をメルマガ読者限定で公開しています。
ストーリー形式で作っていて、20分程度でサクッと読める内容なので、もし、興味があれば読んでみてください。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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